最近、江戸時代を舞台とした「あかんべえ」という宮部みゆきの物語を読みました。
人の心の光と闇を「お化け」という存在を使って上手く表現していました。
「お寺の住職が乱心して、仏の存在を確認するために多くの人を殺めて自分が仏に罰せられないか試す」というストーリーが軸となっています。
ただ、それを読者に途中まで気付かせず、一つの謎として興味を引っ張るというストーリー構成はさすがだと感じました。
物語の最後では、「仏は人の心の中にいる」と(私は)感じられ、軽い読み物でありながら、考えさせる所もしっかりと盛り込む。
彼女の本が売れる理由の一つだと思います。
さて、江戸時代なら当たり前の信仰や先祖の供養。
これを、法律の世界では「祭祀の承継」といいます。
これは、宗教の種類は問わず、亡くなった人(被相続人)やその家庭が代々信仰していた宗教に従って行っていきますよね。
相続に争いがなければ、たぶん「祭祀の承継者」を誰にするのかも争いにはならないのでしょう。
ところが、相続について問題が起きると、「祭祀の承継者」についてもセットで争いになってしまいます。
遺産分割調停で問題になることも多いですが、祭祀の承継者は遺産分割とは全く異なる基準で決められるので注意が必要です。
静岡県内の遺産分割調停だと、祭祀の承継者の争いは、「どの相続人も祭祀を承継したくない」という形での争いになることが多いです。
結局、宗教的な儀式が重視されなくなってきている現代では、宗教に従った供養の手間や費用を嫌う相続人が多くなっているんですね。
ところが、東京あたりになると様子が変わってきます。
なぜなら、墓地の永代使用料(期限なく使い続けられる権利)が非常に高いからです。
1回払えば良いとは言うものの、首都圏の大都市部や近郊では平均300万円程度はすると言われ、東京の区内になると1,000万円程度の永代使用料も珍しくないようです。
ですから、首都圏では、将来、自分のお墓さえ用意するのも大変です。
そのため、親が良い場所に高額の永代使用料を払った墓地を持っている場合には、相続人同士で遺産とは別に「お墓=祭祀の承継者の地位」を奪い合うという現象が起きるのです。
亡くなってから、便利で環境の良い場所に祀られて、お墓参りにも親族が来やすい場所は限定されているので、人によってはプレミアムを感じるのでしょうね。
そして、争いになった場合、祭祀の承継者を決める基準は民法では、次の優先順位となります。
① 亡くなった人が遺言で指定していれば、まずはその意思に従います。
② 指定がなければ慣習によります。
③ 慣習も無い場合には家庭裁判所が定めます。
もちろん、相続人同士で争いがなければ、それがその親族間の一つの慣習と考えて、決めても構いません。
では、家庭裁判所まで紛争が持ち込まれた場合、家庭裁判所は何を基準に祭祀の承継者を定めるのでしょうか?
審判例では一般的な基準として次のようなことが言われています。
① 被相続人との間の身分関係や事実上の生活関係
② 被相続人の意思
③ 祭祀承継の意思および能力
など、「一切の事情」を考慮して決定する。
①の身分関係とは、亡くなった人(被相続人)と親子関係なのか、兄弟関係なのか、祖父母と孫の関係なのかなどを指します。
通常は実の親子関係があれば、それが優先されることになるでしょう。
もっとも、審判ではさらに、「事実上の生活関係」もあげています。
これは、被相続人が亡くなるまでの間、一生に生活したり、世話をしたり、していたかということを指すんですね。
ですから、かならずしも親子であることが絶対という訳ではありません。
②は、亡くなった被相続人が最後の頃に、誰を最も頼りにして、信頼していたかということです。
そして、③は、実際に祭祀を受け継ぐ人が、本当に供養をやっていく意思があるのか、その費用を負担するだけの金銭があるのかということです。
実際に、家庭裁判所で争った場合には、
亡くなった人(被相続人)と一緒に祭祀を行っていたか
亡くなった人と一緒の生活をしていたか
亡くなった人からどれだけ親しく信頼されていたか
が最も大きな基準です。
例えば、長男と長女とが祭祀の承継者の地位を争った場合、家督相続的な考えをすれば長男が承継者となりそうです。
ところが、審判では、他家へ嫁いで名字も変わっている長女が、その夫とともに被相続人と同居し、親しくしていた場合に、長女を祭祀の承継者に指定しています。
ですから、被相続人の意思や実際の生活関係が最も大切なんですね。
高額の永代使用料を支払ったお墓を受け継ぎたければ、「親も一人の先祖として、生前から大切にしましょう」ということなんですね。
相続の一般的なご説明についてはこちらをご参照ください。