相棒は愛猫

こんにちは。弁護士の谷川です。

 

私が動物好きだというお話は以前もしたと思います。

 

特に、一緒に生活ができる、犬・猫・鳥には目がありません。

 

現在も、ラブラドールレトリバー1頭と雑種の猫1匹、アメリカンショートヘア1匹の合計3匹と一緒に暮らしています。

 

生まれつき動物は好きでしたが、更に大好きになったのは素晴らしい動物たちとの出会いからです。

 

小学生の頃の友達の家の柴犬との出会い、とても賢い文鳥との出会い、そして、心から信頼できる相棒だった猫との出会いが私を動物好きへと導いてくれたのです。

 

そのうちでも、特に忘れられないのは、相棒猫との出会いでした。

 

私が大学を卒業して静岡県庁に入庁してわずか3ヵ月で、私の父が突然死してしまいました。

 

52才という若さでした。

 

無くなった年齢の若さや、予測できない死亡という結果からショックも大きかったですし、まだ妹が大学3年生だったので、その将来も考えてやらなければならず、私は仕事から帰ってくると、落ち着いて部屋にいられず、深夜に一人で考え事をしながら散歩するのが日常となっていました。

 

すると、当時あったイチジク畑の脇に拳ほどの大きさの真っ白な塊があるのが目に飛び込んできました。

 

「何だろう」と近寄ってみると、真っ白な毛にブルーグレーの瞳、ピンクの耳をした絵本から抜き出てきたような子猫でした。

 

しばらく、絶句して見ていると、その子猫は一言も鳴かずにジーッと私の目を見ています。

 

私は、その子猫の前にキャンプで使うような紙皿が置いてあり、わずかばかりのドライのキャットフードが置いてあるのに気がつきました。

 

後から調べて分かったのですが、子猫のときは目の中にある虹彩という部分に色がしっかりとついていないため、ほぼすべての子猫は、その目は薄く濁ったような「あい色」になっているそうです。

 

これをキトンブルーと呼び、それは生後20日前後から薄れていき、本来の目の色になっていくそうです。

 

そうすると、その子猫は少なくとも生後1ヵ月以内に捨てられたものだと推測されます。

 

その年齢の子猫がドライのキャットフードを食べられるはずもなく、おそらく捨てられてから全く何も口にせず、全世界を恐怖の対象と見ていたのでは無いかと思います。

 

私が、見つめ合いに負けて、その子猫を両手の平ですくい上げたとたん、私の目をみながら、か細い声で何度も「ニャー、ニャー」と鳴き始めました。

 

よほど心細かったのを我慢していたんだろう」と思わせる鳴き声でした。

 

もう、こうなってしまえば、捨てることはできません。

 

自宅に連れて帰って、母親に説明して飼うこととなりました。

 

キャットミルクなどという上品なものが無かった時代ですので、私が牛乳を生暖かく温めてあげると、嬉しそうに飲んでいました。

 

だんだん、彼(雄猫でした)の目の色はブルーグレーからエメラルド色に変わりましたが、真っ白な美しい毛並みとピンクの耳と肉球はそのままでした。

 

もちろん、捨てられていたのですから、雑種の日本猫なんですが、私が「相棒」として今も忘れられないのは、彼の聡明さと優しさ、そして私だけを特別扱いしてくれたことです。

 

母親も私と同じくらい猫かわいがりをしていたのですが、なぜかいつも私のそばにいました。

 

私が帰ってくるのを待ち構えていて、下駄箱や廊下の影から飛びかかってじゃれてきたのを今でも思い出します。

 

冬は、私が風呂から出てくるのを洗面所で待っていて、「相棒、分かってるだろ、早く座ってくれよ」とばかりに鳴いて要求してきます。

 

私が自分の部屋へ行って座ると、お風呂で私の体が温まっていることを知っているため、すぐに膝の上に寝てゴロゴロ言っていました。

 

何千時間、彼を膝の上にのせて何百冊の本を読んだか数えきれません。

 

また、肩こりの時に、肩に当てて振動させて肩こりを和らげる電動マッサージ器を使っていると、必ずそばに来て、「俺も肩こってるんだけど」とトントンと私の腕を肉球で叩いてきます。

 

「まったく、しょうがないな~」と言って肩に当ててやると、全身を床に伸ばして目を細めてゴロゴロ言っていました。

 

そして、彼は非常に平和主義で、家族の喧嘩を止めに入ってくれました。

 

家族で喧嘩していると、座っている私の肩に両手を乗せ、私の耳の側で「相棒、喧嘩はみっともないぜ」とばかりに、大きな声で鳴いてきます。

 

そして、泣いている人がいると、その涙を舐めに行ってあげていました。

 

私が、「彼は猫だけれども、自分より器が大きいな」と感心した一例です。

 

とにかく、自分で考えて動く猫で、その考え方が優しくて聡明なのです。

 

他にも、交通事故が怖いので、時々ヒモをつけて庭に出してやっていたのですが、自分が出たい時には、そのヒモをくわえて玄関まで持って行って、家族を呼んだりしていました。

 

常に、私に対して、面白くて大切なメッセージを発信してくれていたので、ペットというレベルで考えることは出来ず「相棒」と呼ぶにふさわしい存在でした。

 

「あんなに聡明で優しいネコは見たことがない」というのが家族全員の共通意見でした(母親は実家で5~6匹のネコを飼った経験があります)。

 

これで、私に「ネコ好きになるな」というのが無理な話です。

 

彼を高齢と病気の併発で失った時には、心の一部が死んでしまったような寂しさを覚えましたが、ペットロスに至らなかったのは、彼と会わなければ、あのような暖かくて楽しい時間は持てず、父親の死を乗り越えることが、より大変な作業になっていたからです。

 

彼を失って15年以上たちますが、彼の勇姿は私の心の中にしっかりと残っており、これは一生の宝物として失うことは無いでしょう。

 

P.S.何か懐かしくなって、アルバムを探したら1990年当時の相棒の写真が出てきました。写真を更に撮影したので画像は粗いですが自分の記念のためにアップしておきます。 

出会った時から、人の目をじーっと見るのが癖でした・・・

出会った時から、人の目をじーっと見るのが癖でした・・・

 

 

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