中学生自殺事件

雨が続きますね。

 

梅雨明けが待ち遠しいような、暑くなるのが嫌なような、複雑な気持ちです。

 

裁判所も7月~8月の間に、交代で裁判官が休むため、事件によっては大きく期日が飛んで、9月になるものが増えてきています。

 

もっとも、私の仕事には、裁判以外のものも相当多いので、そちらに比重がかかって忙しさは余り変わりありません・・・

 

さて、最近、某県で中学校に通う少年が自殺をしたことが大きく報道されています。 

 

どこに法的な責任があったのでしょうか。

 

確かに、少年との関係で考えると、学校の対応や担任教師にも、不注意な点はあったとは思います。 

 

担任の先生も一人で何とか出来ると判断せず、学年主任に相談さえしていれば、もう少し何か良い対応もあり得たのかなとも思います。

 

もっとも、弁護士として、客観的に、経験則をふまえて考えていくと、少し違った見方もできるのではないかと思います。 

 

担任の教師へのノートには、 

 

「しんでいいですか?(たぶんさいきんおきるかな)」 

 

「もうしぬ場所はきまってるんですけどね」 

 

また、 

 

「ぜったいだれにも言わないでください」 

 

とも書かれていたとのことです。 

 

これに対して、父親への取材では、少年は父親には 

 

「学校に行くのがだるい」 

 

「嫌なやつがいる。しつこい」 

 

と言っていて、5日続けて学校を休んだりしていたと書かれています。

 

「自殺したい程嫌な思いを学校でしていた場合、自分が中学生だったら、誰に相談するだろう?」 

 

と考えてみました。 

 

自分の出した結論は、 

 

「誰にも話さない。」 

 

です。 

 

何故なら、中学生の頃の自分を振り返ると、①自分が死にたいという辛い気持ち、②いじめられているという自分にとっては隠したい事実を、信頼して話せる人は誰もいなかったからです。 

 

そこまで信頼できる大人も誰もいなかったように思えます。 

 

私が頑固者で、偏屈だったからかもしれませんが・・・ 

 

実は、私も小学校4年生の頃にいじめにあったことがあります。 

 

そのクラスは担任の先生が良い意味でも悪い意味でも優しかったので、生徒は荒れ放題でした。 

 

力の強い生徒数人がグループを作って、対立しあっていて、そのグループ内でもボスの意向でいじめが行われていました。 

 

もともと、派閥というものが大嫌いな私は、どこのグループにも属さないようにしていたのですが、仲の良い友人たちがいたので、自動的にそのグループに入っていると認識されていたようです。 

 

そのグループのボス的存在が、当時はひどいヤツで、月変わりくらいでいじめられ役を決めていきます。 

 

つまり、「A君なんか気持ち悪い」とボスが一言言うだけで、次の日からA君はグループから省きです。 

 

存在を無視され、給食もたった1人で食べ、下校も登校も1人きりです。 

 

ところが、1ヵ月くらいたったころ、グル-プの中のB君が「Aまた1人で給食食べてる。ミジメ~」などと言った瞬間に、ボスがB君に「おまえひどいヤツだな」と言い出して、いじめられ役がB君に代わる訳です。 

 

おそろしいのは、そのB君を一番積極的にいじめるのは、昨日までいじめられていたA君なのです。 

 

おそらく、私だけでなく、そういういじめの構造を経験された方はいるのではないでしょうか? 

 

私も、その流れの中でいじめられ役になりました。 

 

その原因は、そのグループに嫌気がさして、休み時間も下校もボスやそのグループとの接触を避けて、一人で本を読むようになったことにあったと思います。 

 

ボスにしてみれば、面白くなかったのでしょう。

 

休み時間に、トイレから戻ったら、私の机に椅子が無かったことがありました。 

 

しょうがなく立ったままで居たら、先生が私が立っているのにも気づかずに授業を始めました。 

 

しばらくしてから気がついて、「何で立っているんだ?」と聞かれてガッカリしたことを覚えています。

 

結局、椅子はベランダに隠されていたのですが、先生はイジメのかけらも気がついていなかったと思います。 

 

その他にも、小学校4年生の間は、ここでは詳しく書けないような「多数VS1人」という嫌な思いをさせられました(イジメられた方なら分かると思います)。 

 

その頃、私がいじめられ役になった時の気持ちは 

「イジメにあっているなんで、情けなくて、恥ずかしくて、誰にも言えない。誰に言っても、どうせ解決しないし。」 

というものでした。

 

※ なお、後に中学生になってから、イジメた人たちに確認してみたら、
 「覚えていない」「ゴメン」と反応は色々でした。
  私の経験では、イジメのその場を我慢したり、逃げたりしてやり過ごせ
  ば、時
が解決してくれるという印象です。

 

話を戻すと、いじめられている子供がその事実を伝えるには、その相手を相当に好きで信頼していなければ出来ないことです。 

 

今回の事件では、生々しいほどのイジメの事実と死にたい気持ちを担任の先生に伝えています。 

 

でも、親には、「学校に行くのがだるい」「嫌なやつがいる。しつこい」としか言っていません。

 

もし、担任の先生が、私の時のように小学生ですら見切りをつけるような人だったら、相談なんか絶対にしないはずです(そして、そうだとすれば、先生はマスコミや世間から全く批判されないでしょう。)。

 

いじめられた人間にとっては、いじめられたことは「恥」であり、そのことを言えるのは、日頃自分を一番分かってくれていた大好きな人だけのはずなのです。 

 

ですから、その相談を受けていた担任の教師に判断ミスはあったとしても、一方的に批判することには違和感を感じます。

 

今回の事件をきっかけに、建設的に、学校の子供への対応の見直しと、親が子供の状況を洞察できるような情報提供のあり方を考えていけるといいですね。

 

長文、最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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カテゴリー: 時事とトピック

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