土地や建物の本当の価値って?

最近、「愛してたって秘密はある」というドラマの本当の最終話が、Hulu(フールー)という有料オンデマンドで放映されていると話題になりました。

 

ちょっとズルい気もしますが、Huluは2週間無料体験ができるので、インターネットから登録さえすれば見ることができるそうです。

 

私はドラマを観ていなかったのですが、話題になったのでHuluに無料体験で登録して最終話だけ観てみました。

 

福士蒼汰が演ずる主人公が司法修習生というのは、ミムラが主演だったビギナー以来のように思えます。

 

実は私にもメリットがあります。

 

それは、実務修習で担当している司法修習生を、依頼者や相談者の方に説明するのが少し楽になったことです。

 

結構、ドラマに助けられている感が大きいですね。

 

さて、裁判や調停では、土地や建物の価値をめぐって解決が長引くことがあります。

 

例えば、遺産分割調停で亡くなった親の土地・建物が遺産に入っていたとします。

 

その土地・建物に長男家族が住んでいたとすれば、遺産分割で取得したいと考えるでしょう。

 

長男の子供が小中学校に通っていたり、近所の人と仲良くしていた場合には、引っ越すことはためらわれます。

 

かといって、長男だけに土地・建物を全て相続させてしまったのでは、他の相続人、例えば二男にとって不公平です。

 

そこで、長男が実家の土地・建物を全て取得する代わりに、二男に法定相続分(2分の1)に相当するお金を支払うという解決方法がとられます。

 

このとき長男から二男に支払われるお金のことを「代償金だいしょうきん)」といいます。

 

この代償金の額は、結局実家の土地・建物の価値の2分の1になるわけですから、「土地・建物がいったいいくらなのか?」が争いになるのですね。

 

長男からしてみれば、二男に払うお金は少ない方が良いので、例えば

「土地・建物の固定資産税の評価額は1,000万円の価値だから500万を二男に払う」

と主張したとします。

 

これに対して、二男としては、

「実家のある場所は、住宅街としだて人気が高い所だから少なく見積もっても2,000万円で売れるはずだ」

「不動産業者の査定でも2,000万円を越えている。だから、自分に払われる代償金は最低でも1,000万円だ」

と主張していきます。

 

つまり、長男は土地・建物が安い方が得なので出来るだけ安い評価をした資料を提出し、二男は高い方が得なので、高い評価をした資料を提出するわけです。

 

そこで、裁判所の手続で
「土地・建物の本当の価値はいくらなのか?」
が問題となるのです。

 

しかし、私が破産管財人として不動産を売却したり、全日本不動産協会の講師や相談の時に不動産業者の方と話しをすると、土地・建物(不動産)には「本当の価値」はないことがわかります。

 

結局、不動産の価値は需要と供給の関係で決まります。

 

欲しい人が多いタイミングで得れば高く売れますし、そうでない場合には安くなってしまします。

 

例えば、東日本大震災が起きる前は、海の近くでも潮風で建物や自動車がさびるほど近くなければ、特に問題なく売れていました。

 

ところが、あの津波の衝撃的な映像の影響でしょう、それ以降は「海に近い」というだけで売れなかったり、極端に価格が安くなってしまいます。

 

しかし、裁判所の手続で「不動産の価値は分からない」で終えてしまうと、遺産分割など紛争が解決できません。

 

そこで、妥協案として「鑑定かんてい)」という方法がとられます。

 

これは、当事者(先ほどの例で言うと長男と次男)とは無関係な不動産鑑定士に裁判所から不動産の価値を鑑定してもらって金額を定めます。

 

もっとも、不動産の評価は水物ですから、この不動産鑑定士の評価が長男に有利になるか?二男に有利になるか?が読めません。

 

更には、不動産鑑定士の報酬はそれなりの高額になりますが、その負担は当事者がします

 

ですから、できれば鑑定には進みたくないのが代理人となった弁護士の本音です。

 

そのため、長男が1,000万円、二男が2,000万円と譲らないのであれば、やむを得ず1,500万円でお互いに妥協するという方法がとられます。

 

裁判手続といっても、民事事件は刑事事件と違って真実発見よりも、当事者の紛争解決の方が重視されますので、当事者が価格に合意すれば、裁判所としてもそれを最大限尊重します。

 

結局、土地・建物(不動産)の価格は、裁判になっても妥協した額になることが多いのです。

 

 

不動産トラブルの基本知識についてはこちらをご参照ください。

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カテゴリー: 不動産のトラブル |

弁護士の負けず嫌い

台風は予報と違って静岡には大きな被害はもたらしませんでしたね。

 

被害にあわれた地域の方々は大変でした。

 

今日は台風一過の好天になっています。

 

さて、弁護士の仕事が勝負の世界なのはご存じだと思います。

 

そのため、弁護士には負けず嫌いの人が多いようです。

 

その現れ方は弁護士によっても違います。

 

正しい現れ方は、自分の勝ち負けではなく、依頼者のためになる勝ち負けを気にする「負けず嫌い」でしょう。

 

時折、依頼者が

「もう争いに疲れましたから、この金額で和解して終わってもいいです」

と言っているのに、弁護士がこんな所で妥協すべきではないと言って依頼者の希望を無視するケースがあります。

 

これだけ聞くと「とんでもない!」と思われるかもしれません。

 

ただ、これは非常に難しい面があり、一概に正しいかどうかを決めつけることはできません。

 

なぜなら、弁護士としては、依頼者が「戦って下さい」と言えば戦って、「もう和解してください」と言えば和解するというのは一番楽な方法だからです。

 

この方法でやっていれば、どんな結果になろうと「あなたの言ったとおりやったでしょう」と最後の手段として言えるからです。

 

この方法でも、依頼者に法律的な問題点、判例の考え方、裁判所の判決予測などの全てを説明して理解してもらった上での判断に従うのであれば構いません。

 

でも、それって専門的な知識が基礎にないと理解できないので無理ですよね?

 

逆に、依頼者そっちのけで意地を張られても困ります。

 

例えば、どうしても事件で負けるのが嫌いとか、相手の弁護士や当事者と喧嘩して弁護士が感情的になっているような場合が考えられます。

 

つまり、弁護士は負けず嫌いでなければいけませんが、それは主観的なものではなく、「法律の専門家として依頼者をどれだけ助けているか?」という観点からでないと困るのです。

 

その観点から言うと、依頼者が「もう紛争を終えたい」と言った時に、過去の経験や判決予測から妥当な落としどころの範囲内であれば、そのまま受け入れるのが良い弁護士でしょう。

 

これに対して、どう考えてもここで和解するよりも判決(場合によっては控訴)の方が有利だという場合には簡単には受け入れないのが良い弁護士だと思います。

 

依頼者に対して、「ここで妥協するのは弁護士としてはお勧めできません。」と意見を言って、依頼者の気力が持てばもう少し頑張って戦うべきだと思います。

 

負けても平気な弁護士は根本から問題がありますし、負けず嫌いでも
「誰のために戦っているか?」
を忘れた弁護士は法律の専門家ではありません。

 

私が新人弁護士のときは、まずこの感覚をつかむようになるまで2~3年修行が必要だったので、ここも特殊な職業だと思うところです。

 

 

「弁護士のお話」の過去ブログ記事についてはこちらをご参照ください。

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カテゴリー: 弁護士のお話 |

警察が違法な捜査をすると無罪になる?

先週のサッカー日本代表がオーストラリアに勝利してロシアワールドカップ(来年6月開催)出場を決めて良かったですね。

 

昔(例えば、日産の木村和司がエースだったころ)は、アジアから1チームしか出場できなくて、いつも韓国に負けて出場できませんでした。

 

今では、当事者としてワールドカップを応援するというぜいたくに慣れてしまって、日本代表抜きでのワールドカップは考えたくない気持ちになっています。

 

ということで、来年のサッカー・ワールドカップがより楽しみになりました。

 

さて、警察が違法な捜査をやってはいけないというのは、多くの方も感覚で分かっているかと思います。

 

弁護人が警察の捜査が違法であることを主張して、無罪を主張することも最近では増えてきました。

 

でも、良く良く考えるとヘンですよね。

 

警察の違法な捜査を受けた被告人は確かに気の毒ですが、それは単に担当した警察官が悪いだけであって、被告人の罪が消えるわけではないですよね。

 

では、弁護人はどうして無罪の主張をするのでしょうか?

 

今週、9月6日(水)の大阪地裁で出た判決でも、警察の捜査の違法性が争いとなりました。

 

被告人は、大阪市内で覚せい剤を所持していて、それを自分で使用したということで逮捕され、裁判にかけられました。

 

ちなみに、覚せい剤の使用方法には、炙り、吸引、粘膜接種、注射の4パターンのいずれかがポピュラーです。

 

余り詳しく書くと怒られそうなので、省略しますが、いずれの方法でも覚せい剤の「使用」として犯罪となります。

 

今回の被告人も、危険な覚せい剤を所持して、使用していました。

 

被告人が逮捕されたきっかけは、路上での職務質問です。

 

職務質問とは、犯罪に関係ありそうな人に対して、任意に警察官が質問をするという捜査方法です。

 

警察官が被告人に対して、職務質問をしたところ、おそらく所持品を見せることを拒否したのだと思います。

 

ちなみに、職務質問は任意なので、拒否は適法です。

 

例えば、夜、自転車で走っていて警察官から質問された経験がある方もいると思いますが、これは強制ではないので例えば所持品を見せるのを拒否しても良いのですね。

 

ただ、拒否すると結構面倒くさいことになります。

 

他の警察官を呼ばれて取り囲まれたりするのです。

 

この事件でも、約10人の警察官が被告人の進路に立ちふさがって、被告人を移動しにくくした上で、逃走した被告の腕をつかむなどして引き戻しています。

 

さすがに、腕をつかんで引き戻せば「任意」とは言えないでしょう。

 

そのため、この捜査方法は違法です。

 

でも、被告人が覚せい剤を持っていたのは事実ですし、おそらく尿検査で使用していたことも科学的に証明できたのでしょう。

 

ここで、刑法ではなく、刑事訴訟法という法律が登場します。

 

刑事訴訟法というのは、犯罪を裁く手続を定めた法律です。

 

この法律を最高裁が解釈したときに、

①捜査方法に令状主義の精神を没却するような重大な違法があり

②これを証拠として採用することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められる場合

においては、その捜査で得た証拠は裁判で利用できないとしました。

 

結果的に犯罪を犯していれば、どんな違法な捜査方法をしても構わないということになると、「拷問して自白させてしまえ」という考えに結びつきます。

 

強大な権力を有する警察などの捜査機関に対しては、捜査の手続においても私達の権利が護られるようにしなければなりません。

 

そのためには、先ほどの最高裁の判例のように、私達の権利を守るための令状主義(裁判官の令状がなければ逮強制捜査ができないこと)に違反する捜査を前もって防止する必要があります。

 

そこで、最高裁は、捜査機関にとっては最も痛い結果を取ることで、違法捜査の抑制をする決断をしました。

 

つまり、捜査機関がいくら一生懸命犯罪をみつけてきても、その捜査方法に重大な違法性があれば、証拠はすべて裁判では認めないとしたのです。

 

さて、今回の職務質問は違法ですが、私達の人権を侵害するような重大な違法性があるでしょうか?

 

自分が被告人の立場に立って想像してください。

 

夜、自転車で走っていたら警察官に呼び止められて、所持品の確認を求められたときに、他人に見られたくない物を持っていたので拒否したとしましょう。

 

すると、約10人の警察官が皆さんの進路に立ちふさがって、皆さんが移動しにくくして、やむを得ず走って逃げようとしたら腕をつかんで引き戻したということです。

 

こんな場面で、所持品の開示を拒否し続けられる人は、弁護士のように法律や判例を知っている人などの少数派だと思います。

 

(私は、弁護士という立場で拒否をするのは何か気がとがめるので、逆に弁護士になってから所持品検査に素直に応じるようになりましたが)。

 

今回の事件では被告人が本当に覚せい剤を持っていたから良いのものの、持っていなかった場合には重大な人権侵害になりそうです。

 

実際には、警察は、被告人の前科など色々な情報を前提に、確信をもって所持品の開示を求めているとは思います。

 

しかし、これを良しとした場合、一体、警察の職務質問はどこまで許されるのか不明確になりそうです。

 

ここで、大阪地裁の判決は玉虫色の判断をしました。

 

つまり、捜査機関の職務質問や捜査方法は違法だけれど、「重大な」違法ではないから、そこで得た覚せい剤などの証拠は裁判の証拠として認められるとしたのです(最高裁の判例は上に書いたとおり重大な違法に限定しています)。

 

私は弁護人の立場になるからなのか、どうしても違和感を感じてしまいます。

 

「結果的に証拠さえみつければ、警察官は、合理的な理由も令状もなく、私達一般市民の腕をつかんで引き戻しても構わない」というのはちょっと怖いように思えます。

 

皆さんの感覚としてはどうでしょうか。

 

考える素材としては、興味深い判決ですね。

 

 

刑事弁護についての基礎知識についてはこちらをご参照ください。

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カテゴリー: 刑事事件のお話 |

無印良品と似た商品を売ってはダメ?

最近になって、朝夜が少し涼しくなってきましたね。

 

私事ですが、今週、静岡市内で開催された渡辺貞雄(サックス奏者)のライブに行ってきました。

 

ナベサダの愛称で1970年代からCMなどで活躍していたので、昭和生まれの人には有名人だと思います。

 

客席から見渡すと私なんか若造の部類で、J-POPはもちろん、普通のJAZZのライブよりも年齢層が高かったように感じました。

 

MCでは話が途切れたりして、聞いている私の方がハラハラしましたが、サックスを吹き始めると84才という年齢を感じさせず「やっぱりミュージシャンだな」と感心しました。

 

何かに熱中するということが、人の活力になっているのかもしれませんね。

 

さて、今週の木曜日31日に、東京地裁で、生活雑貨ブランド「無印良品」を展開する「良品計画」が原告となって、大手のホームセンター「カインズ」を訴えた裁判の判決が出ました。

 

訴訟の内容は、無印良品と類似する商品をカインズが独自に売っていたため、これが不正競争にあたるとして、良品計画がカインズに販売差し止めなどを求めたものです。

 

不正競争防止法では、他人と類似する商品について、その商品が世間一般に知られている場合に、その商品や営業と混同するような行為を禁止しています。

 

今回は、無印良品として、棚の四隅を細い2本の金属製のポールで支える構造が特徴の「ユニットシェルフ」を販売していたところ、それに似た商品をカインズが売り出したというものです。

 

無印良品というと、飾り気のないシンプルさが魅力の商品のイメージがありますよね。

 

そして、街中のちょっと洒落たところに店舗を持っていて、「ちょっと値段が高い」というイメージも(私だけ?)。

 

カインズで、それと同じ構造の棚を売り出したため、無印良品がこれを差し止めるように訴えたものです。

 

形が全く一緒ではなくても、真っ白でシンプルな構造であれば、無印良品と勘違いすることもありますよね。

 

また、郊外店舗型のカインズで売っていたということは、当然、無印良品より相当安い価格だったのでしょう。

 

東京地裁では、構造が同じで、形もほぼ同じ形と言えるため、良品計画の利益を侵害するおそれがあるとして、差し止めを認めました

 

これを見ると、良品計画とカインズだけの争いに見えます。

 

ただ、良品計画側からすると、自社のブランドを前提に少し高めで売却しても売れる商品について、量販店で売却されるとブランド力そのものが落ちてしまい大打撃になると思います。

 

おそらく、カインズ以外にも無印良品に類似する商品を売っている量販店はあるでしょう。

 

良品計画としては、そのような量販店全体に対する威嚇と姿勢を見せるために今回の訴訟を起こしたのだと思います。

 

訴訟は表面的に現れる部分だけでなく、裏には様々な意図が隠されていることが多いんですね。

 

「企業法務とビジネス」の過去記事はこちら 

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カテゴリー: 企業法務とビジネス |

相続人の1人だけが大学に行ったのは不公平?~特別受益

暑い日が続きますね。

 

静岡では、最高気温が34度を超える日が続いているので、てっきりどこも暑いのかと思っていました。

 

でも、東京からいらした方が「静岡は暑いですね~」と言っていたり、北海道に旅行に行った友人が「寒くて、上着がないと過ごせなかった」と言ったりするのを聞くと、静岡が特に暑いのかもしれません。

 

ただ、北海道といっても私が聞いたのは稚内の話だったので、比較はできないかも?

 

さて、相続でなかなかお互いに納得できないことの一つに特別受益があります。

 

特別受益というのは、相続人の一部の人が、他の相続人よりも被相続人(亡くなった方)から生前にお金をもらうなどの援助や利益を受けていることです。

 

この特別受益が認められると、その特別受益を受けた人の実際の相続分が減って、他の人の相続分が増えるような調整がなされます。

 

ただ、被相続人から援助を受けていれば何でも特別受益になるわけではなく、「特別」なものでなければなりません。

 

そこでどこまで利益を得れば「特別」の受益と言えるのかが問題になるのですね。

 

遺産分割調停で紛争になるケースとして、被相続人(例えば父親)が相続人3人のうち1人だけを大学に進学させて学費を払っていた場合です。

 

確かに、他の相続人から見れば、自分は高校までしか学費を払ってもらっていないのに、他の兄弟姉妹は大学の費用まで払ってもらったというのは不公平に感じるでしょう。

 

特に、大学は学費の他に、アパート代や仕送りがあると、私立大学では4年間で総額1,000万円を越えることも多いでしょう。

 

そうすると、他の相続人は
「自分は高校までしか援助を受けていないのだから、1,000万円の利益を受けた相続人は、相続の時に精算しないと不公平だ。」
と言いたくなるでしょう。

 

しかし、特別受益と認められることは少ないのが実務です。

 

というのは、親には子供に対する扶養義務があるからです。

 

ある程度の大学へ進学できる成績の子については進学させ、そうでない子は高校を卒業して働いてもらうというのは、親の扶養の方法として十分あり得ますよね。

 

これは親からの贈与的なものではなく、むしろ親の扶養義務だとみることが多いのです。

 

また、大学といっても、国立大学なら学費は安いですが、私立大学の医学部なんて言ったらとんでもない費用がかかりますよね。

 

これらの判断は、親が子を育てるときに、子供の成績や進学希望、将来のこと、その時点での親の経済状況などそれぞれの家庭の事情の中でしていきます。

 

これを他人(裁判所)から、親の判断が不公平だったと決めつけることは難しいのです。

 

もっとも、1人だけ大学へ進学させてもらった相続人が特別受益を認めるのであればそれは精算しても構いません。

 

もっとも、逆に相続人の中で1人だけ差別されていて、
「非常に成績が良かったのに大学に進学させてもらえなかった」
という主張はしてみる価値があるかもしれません。

 

何故なら、証明がしやすいからです。

 

その主張をするときには
① 自分が通っていた高校が進学高だったこと
② その中でも良い成績をとっていたこと
③ 自分の学歴が高卒であること
④ 他の相続人が全員大学に通学していたこと
などを証明すれば良いと思います。

 

そして、例えば①は偏差値が載っている本で証明できますし、②は成績証明書で証明できます。

 

③と④はさすがに相続人(兄弟姉妹)全員が「違う!」と嘘をつくことはないでしょう。

 

万が一そういうことがあっても、
③は自分が高卒後即勤務したというような就職証明書を会社に出してもらう
④は大学の卒業証明書の発行の請求を裁判所を通じてやってもらう(送付嘱託)
という方法で証明も可能でしょう。

 

大学でさえ特別受益とするのが難しいのですから、
「1人だけ私立高校へ進学した。」
という高校の学費の不公平を特別受益とする主張は認められないと考えて良いでしょう。

 

もともと、親が子供達に「不公平」と思わせないような育て方をしておけば良いとも言えます。

 

しかし、逆に親の立場から見ると、自分の可愛い子供達が、自分の遺産で争うということは想像できない(したくない)のも事実です。

 

その意味では、親から見た兄弟姉妹の姿と、兄弟姉妹の間でそれぞれが感じている姿との間には実は大きなギャップがあるのかもしれませんね。

 

相続の一般的なご説明についてはこちらをご参照ください。

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カテゴリー: 相続のお話 |

AI(人工知能)で9割が職を失う?

銀行の待ち時間に週刊文春を何気なく見ていたら、「女性が嫌う女性ランキング」という記事がありました。

 

堂々の1位は松居一代さんでした。

 

夫の船越英一郎さんに対する攻撃ですから、世の男性が引いてしまうのは分かりますが、女性にも評判が悪いようです。

 

これもブログや動画を使って本人が直接やっているという行動自体も影響しているかもしれません。

 

船越さんが取材には対応しつつも、比較的冷静な態度を保っていることも大きいかもしれません。

 

その意味では、船越さん側のリスクマネジメント担当者が優秀という見方もできますね。

 

通常の離婚事件であっても、本筋の離婚以外に攻撃を広げてしまって、かえって失敗する事案がありますが、「それと似ているな」と感じさせられました。

 

さて、話は変わって、今回は将来の雇用と労働について考えてみました。

 

最近
「人口知能と経済の未来~2030年雇用大崩壊」(文春新書・著者:井上智洋)
という本を読みました。

 

これによると、2030年頃から人工知能の機械(ロボット)が生産活動に組み入れられる

 

その後2045年くらいには、生産活動は人工知能による機械(ロボット)が殆ど行うようになるとのことです。

 

そして、その頃には生身の労働者は全人口の1割程度しか必要なくなるという予測をたてています。

 

また、消える可能性の高い職業のトップ5として次の職業があげられていました。

 

① スーパーなどのレジ係

② レストランのコック

③ 受付係

④ 弁護士助手

⑤ ホテルのフロント係

 

私の身近なところでは、弁護士助手(事務員)があります。

 

しかし、私の弁護士業務の中では、人口知能が発達したからといって事務員の仕事がなくなるとは思えません。

 

例えば、電話受付一つにしても、人口知能が熟練の事務員を超えるのは難しいでしょう。

 

弁護士が10通同じ通知を発送したとしましょう。

 

ところが、その通知を受けとった人の反応は十人十色です。

 

電話口で、口調が冷静でも心の中は怒りで煮えたぎっている人を感知して、適切な対応をするのは難しいでしょう。

 

また、そのような人工知能を作るときには、間違い無く、お金になる仕事だけを弁護士につなぐプログラムも作られるでしょう(これは基準が明確なので意外と簡単です)。

 

そうなったとき、人工知能で対応させている事務所を皆さんは選ぶでしょうか?

 

そして、事務員を不要とするレベルのプログラムは、弁護士を不要とするプログラムと技術レベルではそれほど難易度は変わりないと思います。

 

私も不要となりそうですね・・・

 

その理屈で言うと、検察官・裁判官も人工知能で良いのではないかということになります。

 

「人間のトラブルを機械に依頼して、機械がジャッジする」

 

そのような未来を人は選択するでしょうか?

 

今週の新聞でも人工知能がプロ棋士よりも能力が高いといっても、人が打つからこそドラマがあり、感動があるという記事がありました。

 

ドラマとまでいかなくても、人間だからこそ安心できるという場面は数多くあり、労働者が必要な範囲は1割よりはずっと多いでしょう。

 

もっとも、人工知能の発展によって人の需要が減る職業はあるでしょう。

 

電車で言うと、駅の自動改札化に伴って、改札係という職業は窓口1つですむようになっていますよね。

 

自動車の自動運転化で、ドライバーの仕事が激減することは予測できます。

 

しかし、これだけ自動券売機が発展しているのに、レジでの人の対応をやめて、機械化している外食店は一定の業種やチェーン店に限られていますよね。

 

人の行動は、単純に迅速性・正確性・合理性を求めているわけでもなさそうです。

 

仮に9割の人が職を失うような人工知能を使い方が行われてきた場合、その9割に入った人はその機械化に猛反対すると思います。

 

日本国憲法では日本の最高機関は国会であり、その構成員である国会議員を選ぶのは多数派の国民です。

 

9割もの人が仕事を奪われて黙っているわけがなく、1割の人だけが仕事を持って裕福に暮らす社会を変えようとするでしょう。

 

逆に、もし1割の富裕層に重い課税をしすぎたら、多くの才能が海外に逃げていってしまい、結果的に日本の国際的な競争力・経済力が落ちてしまいます。

 

私の個人的な意見としては、消える職だけでなく、新たな職(正社員)の需要も意識的に生み出すこと

 

少子高齢化による人口減少からむしろ労働力不足の傾向が現在化しているので、その不足部分をAIで埋める努力をすること

 

が大切ではないかと思っています。

 

長い目で見て、国(という単位が残ることを前提として)全体が、経済的にも精神的にも豊かになり、治安も良い国になる方法をみんなで考えていく必要がありそうですね。

 

 

労働問題のブログ過去記事についてはこちらをご参照ください。

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カテゴリー: 雇用と労働のお話 |

遺産分割の前にやらなければならないこと

お盆玉という言葉はもう一般用語なんでしょうか?

 

私は、最近初めて知りました。

 

お正月の「お年玉」だけでなく、お盆に帰省する孫などにお金をあげる「お盆玉」の習慣が根付き始めているとのことです。

 

お年玉と同じような袋も種類が増えてきているとのこと。

 

少子高齢化で、高齢者の預貯金が消費に動かないことが問題視されていることを考えると、孫にお盆玉をあげることは、景気回復の助けになる良いことなのかもしれませんね。

 

さて、高齢化となると当然、相続の心配をすることも増えてきているでしょう。

 

相続する人たちが全て顔も性格も把握できる範囲であれば、すぐに処理できるのでしょう。

 

もっとも、最近では、親族間の距離が心理的に遠いケースが多く成ってきているようです。

 

遺産を分けようとする時に、その前提として決めておかなければならないことが幾つかあるのですが、その一つが「誰が相続人か?」ということです。

 

詳しい方なら、法律で決まってるからそんなに問題にならないのでは?

 

と疑問に思われたかもしれません。

 

しかし、実務では時折問題となります。

 

つまり、

 

「この人は相続人ではない!」

 

と異議が出ることがあるのです。

 

その最も大きな原因は、昔の戸籍の作成がいいかげんだったことです。

 

兄弟姉妹や甥姪が相続する場合、他に誰が相続人が調査することがあります。

 

すると、驚きの真実を聞かされることがあります。

 

「この子は、兄弟姉妹として戸籍に書かれているけど、実の子ではなくて赤の他人だった」

 

というものです。

 

第二次大戦の前後に親が他人の子を実の子として届け出ていたというのです。

 

ところが、他人の子といえども戸籍に書かれている以上、実務では実子として扱われます。

 

究極的には、伯父や伯母と甥姪とのDNA型の鑑定までしないとある程度の証拠が出ないのですね。

 

それ以外にも、民法は養子縁組をするときに、「自分(養親)より年上の人を養子にできない」と定めています。

 

ところが、今と違って昔の戸籍は手書きで、個別に戸籍担当者が判断していたので、間違って年長者が養子となっているケースもあったりします。

 

そうすると、その人の養子縁組を裁判で取り消すことができます。

 

このように、他人が実子として戸籍に書かれていたり、年長者が養子として戸籍に書かれていたりするなど、昔の戸籍にはミスが多いです。

 

そのため、相続紛争を扱うことが多い弁護士は、古い戸籍は疑って見ていきます。

 

その結果、「この人は相続人ではない」との紛争が起きる場合には、そもそも遺産を分ける人が誰かがまだ決まっていないということになります。

 

そのため、相続人かどうかについて争いがある間は、家庭裁判所に遺産分割調停を申し立てても認められません。

 

まずは、相続人が誰かを裁判で結論を出してから遺産分割をしなければいけないのです。

 

古い戸籍を弁護士が調べたら、依頼者の方が一番ビックリすることもあったりするのですね。

 

相続の一般的なご説明についてはこちらをご参照ください。

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音楽は誰のもの?

少し前に「君の名は」というアニメ映画が大ヒットしたことを聞いたことがある方もいるかと思います。

 

最近、DVDがレンタルされると聞いて、勇気を出して観てみました(ストーリーの話が入るのでこれから観る予定の人は飛ばして下さい)。

 

「勇気を出して」の理由は、親切にTVで情報漏れをしてくれるので、だいたいの筋書きが予想できると思っていたことが一つ。

 

もう一つは、高校生が入れ替わる映画や小説は相当数あり、何度も観たり読んだりしていたからです。

 

個人的な感想としては、「多くの人が良いというものには、それなりの理由があるな」というものでした。

 

アニメでなければ出来ない画像の美しさや、古き良き日本の田舎を舞台の一部としていることは、ジブリと同じく世界的に受ける狙いも見られます。

 

また、個人的には創作ものは、どこまでディテールが緻密に出来ているのかこだわって観るのですが、これも納得できるものでした。

 

ストーリーの中に「人と人、時間のつながりを紐に例える」という日本的な考え方を軸に入れているところ。

 

始めの方にチラっと出てきた「高山ラーメン」のクルマが、後でしっかりとストーリーにつながったり。

 

音楽担当の野田洋次郞が個人的に好みだったことも、楽しめた理由かもしれません。

 

さて、このようなアニメや音楽は、当然、著作権の対象になります。

 

著作権の対象になるということは、勝手に複製して売ったりしてはいけないということは皆さん知っているとは思います。

 

更に、進んで、他人の音楽を聞かせることを目的として再生や演奏をすれば、日本音楽著作権協会(JASRAC)に著作権料を支払わなければなりません。

 

アマチュアのバンドがコンサート(ライブ)をやるときでも、他人の音楽を演奏すれば著作権料を支払わなければなりません。

 

JASRACの人は、NHKの料金徴収の人と似ていて、アマチュアの人がコンサートを開く場所を探して、突然現れてプログラムを確認することもあります。

 

ブログラムに他人の曲があった場合(いわゆる「コピー」)には、その曲数に応じて著作権料を取られるのです。

 

これは、私が大学生だった数十年前も同じで、学生の懐では痛かったことを今でも覚えています。

 

この著作権料を、2018年1月から今まで対象にしていなかった音楽教室まで広げようとJASRACが動きだしました。

 

これに対して、ヤマハを中心とする音楽教室を経営する会社が大きく反発しています。

 

過去に痛い思いをした私としては、心情的にはヤマハ側なのですが、法律家として冷静に見た場合には、結論も違ってきます。

 

この問題について、ヤマハなどの音楽教室側は、今年の6月に、東京地方裁判所に対して、JASRACを相手とする裁判を起こしました。

 

「著作権料の支払い義務が無いこと」を確認することを求める裁判です。

 

ヤマハ側の主張は、「音楽教室での演奏は聞かせることが目的ではなく、手本を示すためで、公衆に伝えようとするものではないので、演奏著作権の対象とならない」というものです。

 

確かに、例えばピアノ教室やギター教室で最近のヒット曲を素材に練習する場合、その曲で感動するというよりも、演奏力を磨くことが主目的ではあります。

 

ここでヤマハ側は、著作権の直接の利用主体を主に演奏をする講師や生徒と構成しています。

 

これに対してJASRACは、著作権の利用主体は直接にも間接にも事業者である経営者のみとしています。

 

ですから、音楽の著作権者の専有する権利を侵害していないかについて、ヤマハ側よりもう少し広くとらえることになります。

 

実際に、カラオケボックス、ダンス教室、カルチャースクールなどでは、著作権料を納めているのは、講師やお客さんではなく、経営者です。

 

そうすると、著作権を利用して間接的に公衆から利益を得ていないのかという側面も見ていかなければなりません。

 

例えば、音楽教室で生徒に好きな曲をリクエストさせて、それを毎回の練習課題とすれば、生徒たちのやる気も起きるでしょう。

 

また音楽教室をしている場所で、楽器に必要な器具や楽譜を売っていれば、生徒が買うことも多いでしょう。

 

楽器を置いてあれば、大きな収入源になっているかもしれません。

 

つまり著作権を利用して人を感動させるという性質は弱くても、公衆に働きかけて間接的に著作物(曲)を利用して利益を上げれば、やはり著作演奏権を利用していると私は思います。

 

音楽は、その内容が素晴らしければ素晴らしいほど、著作権者の手を離れて公衆のものとなっていきます。

 

そして、著作者が死亡した後も、時代を越えて歌い弾きつがれていきます。

 

音楽が公衆のものとなるのは未来に任せて、著作権者に法律上の権利があるうち(原則著作者死後50年まで)は、著作権者の利益を保護することが必要だと思います。

 

目に見えない権利を軽くみる傾向があると言われる我が国にとっては、この裁判の結果は一つの参考となる基準になるでしょう。

 

大分先のことになるでしょうが、東京地裁の判決が出たら、分析してみたいと思います。

 

著作権のお話」の過去ブログ記事についてはこちらをご参照ください。

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防衛大臣の辞任と憲法

暑い日が続きますね。

 

日中、体温が上がりすぎたり、汗をかきすぎたりすると、水分をとっていても、それが適切に体に回らずに熱中症になってしまうそうです。

 

例えば、水分が適切に腎臓に回らないと腎不全を起こしてしまい、人口透析をしなければならくなった人もいるそうです。

 

皆さんも、野外では涼しい場所にいる時間を適度にとって、体を大切にしてください。

 

さて、最近話題になっている稲田防衛相の発言や辞任の問題。

 

最終的に引き金になったのは、アフリカの南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)部隊の日報を隠してしまったことのようです。

 

「部隊が毎日の活動を記録した日記(日報)」のような書類を隠すことがどうして大臣の辞任にまでつながる重大な問題なのでしょうか?

 

それは、この「日報」が、部隊の海外での活動が憲法9条に違反していたかどうかを、私たち国民が知るため(知る権利)の非常に重要な書類になるからです。

 

憲法は、法律・条例その他の法令のどれよりも強い効力を持つ「法の王様」です。

 

ですから、憲法に違反する法律や国の活動は全て無効・違法ということとになります。

 

この憲法で私たちの人権や平和主義が保障されているから、仮に(ヒトラーのときのナチスのように)圧倒的与党が国会を支配しても、憲法を改正しないかぎり私たちの自由や平穏な生活が一方的に抑圧されることがないのです。

 

日本の憲法で有名な9条では、①戦争を放棄すること②戦力を持たないこと③交戦権を国が持たないことが定められています。

 

そして、自衛隊が②の「戦力」にあたることについては、政府も学説のほとんども認めています

 

それでは、どうして自衛隊の設置が憲法9条に違反しないのでしょうか?

 

確かに、憲法には自衛隊についての記述は一言もありません。

 

しかし、憲法が日本の「国」という存在を前提として定められている以上、「国」が危機に陥ったときに、自衛することは当然認めていると考えられるからです。

 

この点については、学説には様々な意見がありますが、ひとまず政府の見解を前提にして考えていきましょう。

 

憲法がこれだけ厳しく戦争について否定している以上、自衛隊の「戦力」についても、本当に日本という国、私たち国民に危険が迫った時にしか使うことは許されません。

 

つまり、憲法が想定しているのは、日本の国土や国民が危機に陥ったときに反撃する「戦力」だけなのです。

 

ところが、国連平和維持活動ということになると自衛隊が活動する場所は外国(今回は南スーダン)になります。

 

憲法は、自衛隊が外国で「戦力」を使うことは一切認めていないということについては、憲法を学んだ人なら理解しているはずです。

 

ですから、自衛隊がPKOで協力するのは「戦力」にひっかからない範囲、つまり南スーダンの内戦で危険に陥っている人を助けたり、医療活動の援助だったりすることなどに限定されるわけです。

 

自衛隊員が自分の身を守るために武器を携行することですら大きな議論になったくらいです。

 

つまり、私たち国民が、自衛隊が海外で活動するときに、「戦力」を使っていないか?=憲法9条に違反していないか?をチェックきるような情報を国は開示しなければならないのです。

 

そこで、その私たちがチェックできる情報として大切なのが「日報」というわけです。

 

南スーダンで平和維持活動をしていた自衛隊の毎日の日記である「日報」には、その日の部隊の行動が詳しく書かれています。

 

これを見れば、例えば

・どのような銃器を使ったのか?

・銃器使用は自衛隊員の身を守るために必要なものだったか?

・南スーダンで、内戦を鎮圧するのに関わっていなかったか?

ということが非常に良く分かるわけです。

 

もちろん、国際問題に関わる政治的なことやプライバシーに関することは非開示にできるのでしょうが、銃器の使用などについては開示しなければなりません。

 

これを隠してしまうと、私たち国民が自衛隊が外国で「戦力」を使っていないか?がチェックできないのです。

 

そのため、「日報」を隠したことに関与した防衛大臣は憲法違反か否かの判断に重要な資料を隠して、私たちの知る権利(憲法21条)に違反する行動をしたということで、重大な責任を追及されているわけです。

 

私個人としては、世界の平和に日本も貢献すべきと思うので、PKOへの自衛隊参加は賛成です。

 

ただ、それは「自分や大切な人の命や身体を守りたい」という人類の普遍的な理念のために参加すべきで、その国の内戦には一切関与すべきではないと思います。

 

内戦の場合、他の国が「どちらが正しくて、どちらが誤りか」を判断することは不可能で、結局は経済原理で動くことになると思うからです。

 

もっとも、このような防衛大臣の責任問題が起きるのも現在の憲法だからで、今予定されている改正がされてしまったら問題すら生じなくなってしまいそうですね。

 

「憲法のお話」のブログ過去記事についてはこちらをご参照ください。

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野外ライブの法的責任はどこに

梅雨も明けて、セミの声が聞こえてくるようになりました。

 

暑い季節の到来ですね。

 

夏になると、お祭り、花火、野外ライブ、スポーツ観戦など野外でのイベントが増えますね。

 

さて、野外は楽しいですが、建物がないが故に起きてしまう事故もあります。

 

2012年8月にも不幸な事故が起きています。

 

大阪市で行われた野外ライブに向かう女性が落雷で死亡してしまったのです。

 

この事件で遺族が主催者する会社に対して損害賠償請求の訴訟をしたことに対して、19日に最高裁判決が出ました。

 

結論としては、「請求棄却」つまり遺族の請求を認めませんでした

 

この遺族の損害賠償責任の法的な根拠は、ライブに訪れるお客さんの保護義務違反です。

 

つまり、天候によっては雷が落ちる可能性があるので、ライブの主催者は会場内のお客さん、会場に向かうお客さんに対して、避難誘導する義務があり、これを怠ったというものです。

 

確かに、ライブが始まってから雨が降り始め、雷が相当鳴り響いたのにライブを継続していれば、主催者の責任が生じる場合もあると思います。

 

この事案でも、雷が鳴り始め落雷の危険が迫っていると予測をすることが出来る天候でした。

 

もっとも、その予測ができるときから死亡事故が起きるまでの間は十数分しかありませんでした。

 

会場には多数の人がいますから、整理しながら避難させなければ大事故になるおそれがあります。

 

ですから、落雷の危険を感じたとしても、即座に「避難して下さい」とアナウンスするわけにはいきませんよね。

 

また、野外でライブをする場合には、成人であれば落雷の危険はある程度自分で判断できますから、自己責任で避難する行動も求められるでしょう。

 

そのため、落雷の危険を予測できるときから例えば15分程度で全員を避難させる行動を起こさないというだけで、主催者に保護義務違反はないと思います。

 

亡くなった方は気の毒ですが、野外でのイベントにおいて、自然による危険については個々人もある程度責任を持つということです。

 

夏の事故には皆さんも十分気をつけつつ、イベントを楽しんでください。

 

「時事の感想」のブログ過去記事についてはこちらをご参照ください。

 

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