2つの隠しごと【救護義務】

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「本件控訴(ほんけんこうそ)を棄却(ききゃく)する」

裁判官の厳しい声が法廷に響く。私は1年ほど前の交通事故のことを思い出していた。 

黒い影が私の目の前を横切っていく。 

「しまった!」 

ガガガガ!金属とコンクリートのすれる嫌な音が追っかけてくる。 

私は、すぐに運転していた自動車を道路脇に停めた。交差点の中、私と逆方向にオートバイが倒れている。その脇にはヘルメットをつけた人が転がっている。 

「まずい。まずい。」 

私は走った。ヘルメットの中をのぞくと、鼻から流れる血が見える。 

「大丈夫ですか」 

と声をかけたものの、返事は無い。あわてて、ヘルメットをはずして移動しようとしたら、後から肩をつかまれた。 

「動かさない方がいい」 

いつの間にか、私の周囲は人だかりの山となっていた。あわてて、近くにいた人をつかまえて救急車の手配を頼む。もう日はとっぷりと暮れている。 

(どうして、こんなことに・・・) 

救急車の音が近づいてきた。 

(ここまでやれば、さすがに「ひき逃げ」とは言われないだろう) 

私は自分に言い聞かせて、現場を離れた。 

(会社に戻って、最後の仕事の整理をしなければ) 

私には「隠しごと」が二つあった。

一つは、免許取消処分中で、無免許運転だったこと。

そして、もう一つは、運転前に店で生ビールを2杯呑んでいたことだ。 

無免許で、飲酒運転なら当然、逮捕される。刑務所に入ることだってあるかもしれない。

しかし、私は「ひき逃げ犯」の責任だけは負いたくなかった。確実に刑務所行きになり、刑期が長くなると聞いていたからだ。 

だからこそ、飲酒・無免許の私がすぐに自動車を停めて、被害者の様子を見て、救急車の手配を頼んだのだ。

実際、救急車もすぐに現場に来ている。私は逮捕される前に会社の仕事の整理に戻っただけなのだ。やるべきことは全てやったはずだ。 

判決を読み上げる裁判官の声が遠くから聞こえてくる。 

「確かに、被告人は、事故後すぐに被害者にかけより、「大丈夫ですか」と声を掛けており、救急車の手配も近くの者に依頼している。」 

「しかし、被害者の救護のためには、例えば 

 到着した救急隊員とともに被害者を救急車へ入れる手伝いをする 

 被害者がどこを打ったのか、その後の容態はどうだったのか救急隊員に説明する  

 被害者を病院に連れていく救急車に乗って、病院で容態を見守る 

などの義務を果たさなければならなかった。」 

(現場から勝手に立ち去ったら全て「ひき逃げ」なのか・・・) 

今気付いた。

「私は既に塀の中にいたのだ」

 

~「東京高等裁判所 昭和57年11月9日の判決」を素材にストーリーを構成

 

【コメント】~ひき逃げ
ひき逃げ」というのはそれだけで、れっきとした道路交通法上の犯罪です。人を誤ってけがをさせた罪(過失運転致死傷)とは別個に、犯罪が追加されるのです。

ひき逃げは、法律上は、
① 被害者を助けなかったこと(救護義務違反
② 交通上の危険を防止する措置をとらなかったこと(危険防止措置義務違反
の2つとされています。

その刑も重く、「10年以下の懲役又は100万円以下の罰金」と規定されています。窃盗罪の刑が「10年以下の懲役又は50万円以下の罰金」ですから、それより重いということになります。

裁判でも、過失犯には比較的軽い罰金刑や執行猶予付き有罪判決になることが多いのですが、ひき逃げという過失犯でない罪が加わると重く判断される可能性が高いです。

ですから、不運にも交通事故を起こしてしまった場合には、必ず現場にとどまり、被害者を見守って急いで救急車を呼んだり、道路の安全を確保するようにしましょう。

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