高橋の偽装離婚【離婚の意思】

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高橋は「最近、体の調子が悪い」と不安を感じていた。

 

「病気で倒れてしまったら、収入はゼロだ。まともな生活なんかできっこない。」 

 

焦っていた矢先、会社で倒れた。 

 

「大丈夫か?」 

 

会社の同僚や上司は声をかけてくれたが、その目の奥には、迷惑をかけられることへのおびえが隠れていた。 

 

「この会社にいても、じゃま者扱いされるだけだ。 

 

そう思った高橋は会社をやめた。

 

もう、妻のゆかりの収入で暮らすしかない。だが、ゆかりの収入だけでは、唯一の楽しみだった晩酌もできなくなってしまう。

 

妻の収入にすがって生活していくというのも、髙橋の男としての最後のプライドにひっかかった。 

 

高橋は、やむを得ず市の生活保護の担当課に行くことにした。 

 

「病気で体調が悪くて、ここへ来るのもやっとでした。これから医療費もかかりますし、無職になってしまってどうしたら良いかわかりません。」 

 

あっさりと生活保護は認められた。ただ、高橋が話さなかったことが一つあった。ゆかりが知り合いを手伝って、現金収入を得ていることだ。 

 

(ゆかりの収入があると、生活保護が受けられないのではないか?) 

 

恐れていたことは、早い段階で現実となった。市の福祉の担当者が、高橋の自宅に突然訪ねてきたのだ。 

 

「奥さん、働いていますよね。どうして黙っていたのですか?」 

 

高橋はただ沈黙するだけだった。市の担当者が帰った後、団地の庭のベンチで高橋は座って呆然としていた。 

 

「さっきの人、生活保護のケースワーカー?」 

 

同じ団地に住む田中が肩をたたいてきた。田中は、生活保護に詳しいという噂は聞いている。 

 

高橋が事情を話すと 

 

「そんなの簡単だ。あんたが、離婚届を市に出しゃいいんだ。ゆかりさんは実家に帰ったってことにすりゃいい。」

 

「あんたらは、もう夫婦じゃない。ゆかりさんに収入があっても、あんたも生活保護を受けられるってこった。」 

 

高橋は言葉に詰まった。 

 

(いくら生活が苦しくても、離婚したフリをするなんて) 

 

しかし、この団地には、自分より健康で働けるのに、生活保護を受けている者もいる。もっと生活に苦しんでいる高橋が生活保護を受けられないのは不公平だ。高橋はゆかりに離婚の話をすることにした。 

 

「絶対にイヤ」 

 

ゆかりは、普段出したことのないこわばった声で答えた。 

 

高橋は、ゆかりに離婚届を出しても夫婦であることに変わりないこと、愛情も変わらないことを説明した。

 

もちろん、晩酌のこともだ。

 


ゆかりは、しぶしぶとだが、高橋の話を聞いてくれることになった。 

 

高橋は、市役所へ離婚届を出しにいった。

 

離婚は結婚の10倍のエネルギーが必要」と何かの本で読んだことがあった。

 

しかし、高橋の離婚は、結婚の100分の1のエネルギーで良かった。

 

知り合い2人に離婚届けに証人として署名してもらって、市役所に提出するだけだ。離婚の全ては、1時間もかからずに終わった。 

 

ゆかりは、離婚に大きな不満をもっていた。しかし、夫が晩酌をうれしそうにする姿を見ていると、何も言えなかった。

 

病弱だった髙橋の死は突然訪れた。 

 

(高橋の本当の妻は私しかいない) 

 

ゆかりは、喪主となって、親戚への連絡、葬式の手続き、49日を全てやった。夢中で動いている時だけ、夫の死を忘れられた。 

 

しばらくして、ゆかりの気持ちが落ち着いてくると、大きな疑問がわいてきた。 

 

「私も夫も離婚をしたフリをしただけなのに、夫婦じゃないなんて納得できない。」 

 

弁護士に相談に行くと 

「がんばりましょう。離婚無効確認の裁判をして、妻の地位を取り戻しましょう!」

励ましてくれた。 

 

(妻の地位・・・) 

 

だが、夫はもう死んでいる。 

 

「こういう時には、検察官が死亡した夫の代わりに、被告になって対応するんですよ。そこで、無効が認められれば、ゆかりさんは妻の地位を取り戻すことができます。」 

 

ゆかりには、全部は分からなかったが、とにかくあの離婚手続がおかしかったことを、裁判所が認めてくれるということは分かった。 

 

争いは長く続いた。

 

最後の判決の日、ゆかりは法廷で裁判官の声を聞いていた。

 

「本件上告を棄却する。」

 

 上告費用上告人の負担とする。」

 

一瞬、何のことだか分からなかった。しかし、隣に座っている弁護士の表情を見たら、ゆかりの主張が認められなかったことがすぐに分かった。

 

弁護士は、事務所で、ゆかりにまくしたてた。 

 

「この判決は、結婚をするには「夫婦で共同して生活していく意思」が必要だけれど、離婚をするには「離婚の届け出をする意思」さえあれば良と言っているんです。」 

 

「つまり、「偽装結婚」は無効なんですが、「偽装離婚」は有効だという判決なんです。」 

 

「何て不当な判決だ!」 

 

(あんな嘘の紙切れ一つで、夫婦がおわるなんて) 

 

弁護士の声が、だんだんと遠くなっていき、

 

そして消えた。

 

~「最高裁判所 昭和57年3月26日の判決」を素材にストーリーを作成

 

【コメント】~離婚届不受理申出

勝手に離婚届を出されてしまわないように、市役所等に出しておくのが離婚届不受理申出です。

 

良くあるケースとしては、喧嘩の勢いで離婚届に署名してしまったけれど、後で冷静になると、やっぱり今の段階で離婚をする気持ちがないことに気付いたという場合です。

 

上の判例でも言っているとおり、離婚のためには、届け出をする意思さえあれば良いのですが、その意思は届け出をする時点で必要です。

 

ですから、仮に離婚届に署名をしてしまっても、離婚届不受理申出が出ていれば、届け出の時点で離婚の意思が無いことが明らかになります。

 

そこで、市役所等では、一方の配偶者から離婚届不受理申出が出されていると、他方配偶者に離婚を届ける意思が無いと判断して、離婚届を受け取らないんですね。

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